大分県佐伯市について

大分県 佐伯(さいき)市について

佐伯(さいき)市とは

大分県佐伯市について

九州最大の面積を誇る佐伯市は大分県の南東部、宮崎県との境目にあるまちです。温暖な気候に恵まれ、海、山、川の豊かな自然に囲まれ、それらが育んだ素晴らしい食材と加工技術、歴史を有しています。

人口は6万7千人弱、やはり少子高齢化の傾向はありますが、穏やかな風土に育まれ、人びとは生きいきと暮らしています。

佐伯市の地勢 自然環境

大分県佐伯市について

南部から西部にかけてはモミ、ツガなどの原生林が残り、野生動物の宝庫としても知られる祖母傾(そぼかたむき)国定公園の一角をなしています。また東部は豊後水道を隔てて四国西部と面し、270キロメートルにもおよぶ美しいリアス海岸は日豊国定公園に指定されています。

狩猟採取を行っていたような「日本の原型」

大分県佐伯市について

いにしえに狩猟採取を行っていたような「日本の原型」に近いといえる多様な自然環境が残されており、ジビエや日本ではじめて栽培に成功したというシイタケ、日本人特有の智慧で作られた保存食の数々などの山の産品が生まれました。

また豊後水道、リアス海岸は潮流が速く、プランクトンも豊富なことから生産性の高い漁場を有し、 一本釣り漁業からまき網漁業にわたるさまざまな漁船漁業と養殖業が盛んです。これらが要因としてつなぎ合わされた結果、歴史的に「匠」たちがその技を継承してきました。

佐伯市の歴史

大分県佐伯市について

豊後国は鎌倉時代に大友家の支配下にあり、この地は地頭の佐伯家が抑えていました。戦国時代、軍力で勝る島津氏の侵攻を受け、これに打ち勝ちますが、文禄2年(1593)文禄の役で大友氏は秀吉によって改易されます。その後、一説には秀吉の落胤ともいわれる毛利高政が関ケ原の合戦で東軍につき武名をあげ、家康は高政を佐伯栂牟礼城の城下2万石に移封し、佐伯藩が生まれました。

佐伯藩領は起伏に富み耕地が少なく農業による収入は少なく、林業が藩財政を支える収入源になります。さらに海岸がリアス海岸であるため浦が多く、漁業と海上輸送基地の港として活用され、「佐伯の殿様、浦でもつ」という言葉が生まれたほどに財政の柱になります。やがて時は過ぎ、明治4年(1871)の廃藩置県により佐伯県となり、後に大分県に編入されました。藩主毛利家はその後、子爵となります。

昭和に入り海軍航空隊の誘致に成功し、豊後水道を守る軍都として知られるようになります。戦時中は大分海軍航空基地、佐伯航空隊などが集まっていたことによりB29の爆撃を受けますが、みごとに復興をはたしました。

やがて平成17年(2005)、佐伯市と南海部郡5町3村が合併し、面積が九州最大となる新たな佐伯市が誕生しました。

佐伯市の歴史 文化

大分県佐伯市について

佐伯にひときわ強い愛着心を持つ市民が市内はもちろん、全国に多いためU.Jターンで新しい技術や情報を得て、佐伯市に還ってくるケースが少なくありません。さらに人のやさしさ、自然環境やまちのサイズなどを理由に、都市部から移住される方々が散見できます。

こういった状況を背景にし、優れた「匠」の技が継承され、伝統を残すとともにブラッシュアップを繰り返しています。歴史ただようまち、サンゴ踊る海、星降る里山、蛍舞う清流。そして匠に出逢うために、佐伯市に立ち寄ってみませんか?温かく皆さんをお迎えします。